ひろしまジンって、あんまり広島では聞かない
変わった響きの言葉ですよね?
今回は、なぜ私たちが「ひろしまジン大学」という名称を
つけるに至ったのかについて、その経緯を名付け親である
我らが開校準備室の営業企画兼授業コーディネーター
の河野尚子さんに語っていただきたいと思います。
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実を言うと、私たちはまず、大学の名前を考えるのに何ヶ月も
会議を繰り返してきた。毎回「○○大学(仮)」という名前のままで、
企画書をいくつも作り直してきた。
そもそも、私たちのやろうとしている活動は、確かに分かりにくい。
「街を丸ごとキャンパスととらえ、様々な授業を展開していく新しい大学」と聞くと、
確かに面白そうだけど、でも、括り方が広すぎて、具体的なイメージがわきにくい
というのが、初めてお聞きになる方の印象ではないだろうか。
この大学には、広島に何らかの関わりのある方なら、誰でも参加できる。
生徒にもなれるし、先生にだってなれる。
スタッフとして授業の運営に関わってもらってもいいし、日頃から温めている案を、
試して頂く場にしたっていい。
あなたの、「すごいけど日頃全然使えない知識」を披露する場にしたっていい。
だけど、この大学の可能性、そして私たちの想いにピッタリくる名前が、なかなか思いつかなかった。
もう、名前考えるの疲れた。
内心、そんな気分になって、ストレス解消に友人とお酒を飲んでいる時だった。
「最近、『何人ですか?』と聞かれたとき、
『私、広島人です』って答えるようにしてるの。」
と、私の友人が言うのだ。
私は、その言葉にピンときた。
広島人。
それは、これまでもきっとあった概念だと思うけれど、
被爆二世でバイリンガルの彼女が言うと、何だか「そうとしか言いようのない何か」
を表現できているような気がした。
広島生まれでずっと広島で暮らしてきた「広島人」
もいれば、一時期を他の土地で暮らし、
戻ってきた「広島人」もいるだろうし、
海外、県外からやってきて、この街が大好きになって
住みついてしまった「広島人」もいるだろう。
年齢も、性別も、職業も、国籍も、全然違うけど、
言葉で表現しようのない「共通点」のある私たち。
それが、「広島人」という概念なのかもしれない。
私たちは、その言葉が、私たちがやろうとしている
大学のイメージにピッタリだ、思ったのだ。
そんな経緯があって、やっと決まった私たちの大学の名前。
それが「ひろしまジン大学」なのです。
(河野尚子)