みなさま、はじめまして。
ひろしまジン大学開校準備室長の平尾順平です。
今回は僕がひろしまジン大学を広島におこしたいと思った理由を、簡単にではありますが説明させて頂きたいと思います。
僕の地元は広島市安佐北区の可部。
緑多き、のんびりとした穏やかな場所です。
大学に入るまではその安佐北区と、高校のある安佐南区が僕の主な生活エリアだったのですが、大学に入って以降はバックパックを背負ってユーラシア大陸を横断したり、就職して出張で南米やアフリカの国々を回わったりするようになりました。
旅先でも出張先でも、海外の人から「どこから来たの?」と質問されたとき「Hiroshimaだよ」と答えると、必ずと言っていいほどみんなが知っており、そして「あのHiroshimaか!?」と驚いたような反応をされました。
一方で、そこから「Hirosimaは原爆が落とされる前はどんな街だったのか?」、「今のHirosimaはどんな人たちが生活し、どのような街になろうとしているのか?」といった突っ込んだ質問には、なかなか上手く答えられない自分に気づき、だんだんともどかしく思うようになりました。
また同時に海外に出て、「外から広島を見る」という経験から、自らの生まれ育った街のことを改めてちゃんと考えてみたいとも思い始めました。
自分の街の「過去」、「現在」、「これから」のことをもっと深く知り、考え、自信を持って伝えていきたい。
一番最初のきっかけはこの頃だったかもしれません。
その後仕事を辞め、その想い一つで帰郷しました。
約7年ぶりに広島に戻り、改めてこの街を眺めてみると、北は中国山地、南は瀬戸内海と140を越える島々に囲まれた豊かな自然と、近代的なビルがちょうどよく融合した、住みやすく、そしてとても魅力的な街ではないかと思いました。
自らの街のことを知り、自信と誇りを持って街のことを発信して、人と人が繋がっていく。
当初はまったく別のカタチでこの想いを実現させようと考えていましたが、その途中で出会った東京の「シブヤ大学」の「街がまるごとキャンパス」という仕組みに強く共感し、シブヤ大学の仕組みを参考にしつつ、広島でも大学という枠組みでやってみたいと思うようになりました。
これが最初に僕がこの「ひろしまジン大学」に関わるようになったきっかけです。
あのマザー・テレサが残した言葉の一つに「知ることは、愛すること」との一節があるそうです。
僕も「ひろしまジン大学」で、まずは自分の住むこの広島という街の魅力を、まずは「知る」ことから始めたいと思ってます。
そして知ったことについて深く学び、更にそれをきっかけに街とも人とも楽しくつながっていけたら。
そんな夢と希望をもって、ひろしまジン大学をカタチにしていきたいと思います。